2015-08-28

生き方と、今と、光② @ボストン



Leoです。

前回記事の続きです。


 Tくんと深夜に語らい。問題解決の本質について。自分のワクワクの根源について。これからの生き方について光が見え始めたとき、自分が悪者のように感じてしまいました。


 「僕は偽善者だったのか。」


 純粋に貢献したいと思っていないのに、国際開発にかかわってあたかも善人のような顔をしていて、時に感謝されて、いい気になって、いいのか。不謹慎な話ではないか。

 急に、狭苦しい話になってしまいました。が、もし本当にその分野にかかわっていくのなら、必ず一度は通る、苦しい問いなのかもしれません。

ボランティアの在り方もよくわかりません(´・ω・`)



 「まぁ、それでいいんじゃない?」


 T君の答えは、非常にシンプルなものでした。やらない善より、やる偽善。初めは全否定するように引っかかっていましたが、すこしずつジワジワと、飲み込めてきています。

 国際貢献とは、「国際」という形無き何かへ貢献し、発展に寄与することではなく、単に、人が、人に、愛を与え、共通の納得を探すようなことなのでしょう。それがたまたま、国境を越えていただけなのでしょう。


 加えて、僕はたった一人の人間でしかないという事実も、忘れてはいけません。

 世の中に大量にある(僕が判断しうる限りの)問題から、どれを選ぶのか?そもそも、僕が問題だと考えているものの範囲だけでよいのだろうか?

 このような問いも、どれもこれもやるんだ!という無謀な取り組みよりも、自分が納得できる選び方で、納得できる理由とともに、生き方を選択しようと気づかされました。どうにかうまくやれば、例えばそのようなマインドを持つ人を育成するようなことをすれば、ひとりの人間でもそれ以上の影響力が生まれるかもしれません。だけど、それは少し、やりたいこととはずれていて、ワクワクしなかったりします。


 …というか、「助ける」が一番前に来なくても、いいのでは?

 先ほど挙げた自分のワクワクを、国際開発という分野で奔放に発揮できたら、いいなと思いました。確かに、偽善者であることには、変わりありません。しかし、ほかの偽善者と違うのは、自分はそれを理解したうえで、自分のやりたいように、自分のために、やるということ。自分の満足=人をうまく助けられた の等式が成り立っているからこそ、存分にやり切れたらそれでいいのかな、と考えます。

 そしてこれは、国際開発の人だけではなくて、人の生活の質を上げる、新しい体験を創る、と志しているエンジニアたちにも適用されると思います。その先にあるものが「ピュアな承認欲求」では無い限り、自己満足でいいじゃないですか。だって、それなら、生活の質を上げられず、既視感を得る体験しか生み出さないのなら、自己満足さえ叶わないはずですよね。



 人が、人を助ける。

 だったら、人のために、人のことを考えて、幸せになってほしい人がAs well as possibleで幸せになれるように、取り組みをデザインしていく必要があります(あとは、そのデザインのコンセプトとなる、自分特有の「アソビの色」のような部分がほしいな、とは思っています)。これは、デザイン思考のフィールドの、Human Centered Designという概念に近いのだそうです。僕は、これを受けて(だけじゃなく、ほかにも様々な要因からですが)、デザイン思考を学ぶことに決めました。

デザイン思考は未だ勉強中。
写真は、Stanford Univ. d.schoolでの一枚。


 また、僕がいま勉強している適正技術という話についても、議論が起こりました。

 ゲーム理論という観点から社会問題を鑑みると、全体幸福は達成できません。まあ、いくつかの部分幸福の組み合わせと、かかわる人の納得によって「幸福と感じるライン」を下げることで、「全体が幸福と思う」状態を創り出すことはできるかもしれません。

 この適正技術というのは、テクノロジーを使った国際開発の中でも、安価で、使いやすく、直しやすく、電力をなるべくつかわず、現地の古き良き文化を壊さない、というような考えだと認識しています。定義は定まっていないので、ある分野の学術用語としての定義なのか、「こういうの目指して、やってこーぜ!」というコンセプトなのか、は、わかりません。

 ただ、田中直さんの講演や本や資料で読んだ適正技術たる条件をみていると、確かにうなずけるのですが、「非の打ち所がないというか、もはや魔法のステッキだよね。人間に魔法は使えないよ。」と、Tくん。

Perpetual Motion Machine : 永久機関
永遠にぐるぐる回ったら、ガソリンいらなくね。的な
夢のマシンです。今のところ、存在しません。


 「永久機関」とは、放っておいても無限にエネルギーを生み出し続ける機関で、これを発明できたら大金持ちになれると、昔の人はこぞって発明に精を出していたようです。現在では、エネルギーを使用して出てきた余剰分をも利用しよう(出てきた熱でお湯を沸かすエネファームのような)というアイデアに昇華したのでしょうか。

 「適正技術」は、力学的エネルギー保存則のように、物理法則があるからよっぽど達成され得ない!というような縛りはないため、一見達成されそうに思えます。しかし、これも永久機関と同じく、「達成は無理だけど、それに向かって日進月歩していくことで、より多くの人が幸せで豊かになる技術コンセプト」なのではないでしょうか。このように適正技術を定義するか、そのようなコンセプトや方向性が日本中、さらには世界中に広まったら素敵だなぁと、思います。


 じゃあ、留学中に僕には何ができるのでしょうか。

 奨学金を頂いている(まだ振り込みはされてないけど)トビタテ留学JAPAN!日本代表プログラム(http://www.tobitate.mext.go.jp/)の事前学習でも感じましたが、「視野を広げること」なのでしょう(なんて陳腐な言葉。。

 いろんな世界、知っていたけど考えていなかった世界、画面を介しては伝わらない世界、インターネットでは知りえない世界。出会った多くの世界に対して、感じて、考えて、自分の血となり肉となるように、過ごしていきます。

 そして、日本に帰ったら、それを深めます。深めて深めて、研究と絡めて目標に落とし込んで、学生生活の再スタートを切りたいです。



それでは。

Leo

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